2008年10月22日水曜日

阪原町 コスモス祭り


















10月19日(日)

素晴らしい秋空の下、奈良市阪原町に於いて、恒例の秋のコスモス祭りが、営農組合をはじめとする関係者の皆さんのご尽力により、盛大に開催されました。
あっちこっちから(奈良は勿論、大阪、京都ナンバーの車が多かった)大勢の人にお越しいただきました。
どれくらいの人が来られたのか?正確な数字は分からないようですが、地元で採れた農作物や加工品が飛ぶように売れ、午前中に完売した商品も随分あったと聞きました。
食の安全、食糧自給率の向上が叫ばれる中、消費者のニーズに応え、阪原町の農業従事者の皆さんには、益々頑張っていただきたいと思うところです。
 ところで、私、恥ずかしながら、大変驚いたことがありました。
それは、落花生です。
実は、私、落花生なるものは、木になる実だとばかり、思いこんでおりました。
ですから、土の中に実を成らせた 落花生の畑を見たときは、大変ビックリしたのです。
こんな お馬鹿な大人を育てない為にも、子供たちの食育がいかに大事なことであるのか、痛切に感じたところです。

2008年10月5日日曜日

佐保幼稚園、大安寺西幼稚園  運動会
















素晴らしい秋空の下、佐保幼稚園と大安寺西幼稚園の運動会に出席させていただきました。
両園とも、この日の為に、リズムや体操の練習を随分と積まれて来たのでしょう、その成果が見事に表れていました。
また,競技においても、みんな一生懸命がんばっていましたし、観客(保護者・来賓・先生方)の皆さんから、惜しみない拍手が送られていました。
まさしく地域と共にある運動会、地域に根ざした運動会だなと強く感じました。
子供の事がご縁で、初めて地域とのふれあいを(例え少しであったとしても)経験された保護者の方が、いらっしゃるのではと思うところですが、今後とも、園と保護者と地域が一緒になって、子供たちの成長や教育に益々ご貢献いただきますことをご期待申し上げます。

2008年9月14日日曜日

自殺予防シンポジウム2008

昨日、帝塚山大学・奈良県共済による、
自殺予防シンポジウム2008  
~自殺を止めるために私たちができること~  
に出席させて頂きました。帝塚山大学学園前キャンパスにて14:00から開催されました。

 
帝塚山大学
心理福祉学部学部長 柴田正見 教授   

 帝塚山大学では、「心のケアとサポート」人材養成と自立支援(地域の活性化と安心・安全な社会の創造のための実践的教育)の取組みが平成18年度・文部科学省の現代GPに採択され、地域社会と連携した「心のケア・生活サポート教育」の研究し、地域でのリーダー育成の教育をされているお話をされました。現在のすさんだ、閉塞感のある社会環境をどうすれば良くなるのか、奈良県民にとっても我々政治家にとっても喫緊の大きな課題であります。

            
奈良県
健康増進課    畑中伊知雄 課長 
                                 
 平成10年あたりから急に増えてきた自殺者数は3万人を超え、現在に至るまで3万人を下ることはない。交通事故による死亡者数のの5~6倍にあたり、国に於いて議員立法により、平成18年 自殺対策基本法、平成19年には自殺総合対策大綱ができ、県では対策協議会が設立されたところの話をされました。


遺族の体験発表   尾角光美 さん
    
 同志社の学生さんと自己紹介されました。まだ、お若いのに、とてもシッカリした人だと思いました。
 うつ病にかかってしまわれたお母さんとの生活、光美さんを助けた「あしなが育英会」等、胸に沁みる素晴らしいお話でした。
 私にとって、特に印象に残ったお話。死にたい人にどうやって向き合うのか?「それは、相手の話を聴いてあげること。キクは聞くではなく、聴くの方で、耳と目と心で聴いてあげることだ。ただ、ただ、聴いてあげることだ。」


奈良県
健康増進課     三木洋子 主査    

 奈良県の自殺の現状報告をされました。
県内の自殺死亡者数と自殺死亡率はともに平成10年に急増し、その後も高い水準で推移している。一方で、全国の中では、過去10年間低いレベルで、ここ2年間は、全国最低の数値となっている。知事は、「自殺者が少ないという良い例を分析し、良い状況を温存し守るようにしなければならない」と新聞発表をした。



[各パネリストからの報告]
コーディネーターは帝塚山大学心理福祉学部 神澤創 教授



自死遺族・多重債務による
自死をなくす会代表幹事  弘中照美 さん

 「お金のために死なないで」の著者でもある弘中さんからは、日々、活動されている中から、いくつかの問題点を指摘されました。私達政治家や、行政に携わるものにとって、大変参考になるご意見だと思います。
 
 自殺対策をする上で、行政がただ担当窓口を設置し債務整理の相談体制を整えればよいということでは、不十分である。自死を考えている人の大半は、うつ状態かうつ病にかかっており、複合している要因に対して、法律家、専門医、民間NGOとの連携が不可欠であること。

 多重債務に陥っている人達にとって、弁護士・司法書士は敷居が高く、費用の心配等があるので、どの先生に相談したらよいのか分からない。法律の専門家、行政の窓口の担当者は親身に話を聞いてくれない。ひどいことを言われた。不信感、苦情が多い。

 自分達は、相談者と法律専門家を紹介しながら、心の悩みに耳を傾けている。相談者と同じ目線に立って、何度も、時間をかけて、しかし理論めいたことも否定的なことも説教めいたことも、言わない。
「分らない。でも分りたい。」という姿勢が大事。そういう相談窓口が必要。


奈良弁護士会前会長    田中啓義 さん

 借金が精神疾患を引き起こし、健康を損ねる。これ1つだけの原因ではないが、多重債務はおおきなポイントである。殆どの人が自分を被害者とは思わず、加害者であると思いこみ、悪いのは全て自分のせいだと思っている。これは本人だけの問題ではなく、社会の問題であり、社会構造の問題である。ワーキングプアの問題や生活保護の問題に目を向ける必要がある。

 また、弘中さんの言われた弁護士の敷居は確かに高いかもしれない。最も重要なことは、弁護士の心の問題。心のこもった法律相談体制を目指す。と力強く語られました。


奈良いのちの電話協会副理事長 藤掛永良 さん

 奈良いのちの電話の取組み状況について。奈良県の自殺死亡率全国最下位は、奈良いのちの電話の活動の成果であること。今後も、大綱に基づき、自殺対策を強力に推進していく。等。お話しされました。



奈良県精神保健福祉センター 高橋良斉 所長

 生物学的、心理学的観点からの自殺予防について、アカデミックに説明されました。



この後、休憩があって全体討議をされたはずですが、私は誠に残念なことに次の予定があり、参加できませんでした。帝塚山大学の心理福祉学部の先生方や、パネラーの先生方にご挨拶さえ申し上げられなかったことも、心残りでした。また、いつかお会いできることを願っております。
  

 さて、この度のシンポジウムは私にとって、大変、有意義なものとなりました。
年間3万人以上の自殺者がいることは知ってました。自殺者のニュースがマスコミで騒がれたとしても、「またか。」くらいにしか感じていなかった自分が、いかに鈍感な人間であったのか。3万人という数字は阪神淡路大震災で亡くなられた約6300人の5倍、一年に阪神淡路大震災が5回も起こったことになるわけで、このことを真剣に考えなかった自分を悔いるばかりです。

 「自殺」と言う暗い影には、社会の底に蔓延している、人間の本質に関わる諸問題が凝縮されているような気がします。この問題を直視できないような、或いは、ここまで苦しみ抜いた人達に手を差し伸べられないようなことでは、政治ではありません。。
私も今後、何らかのお役に立っていきたいと、考えているところです。

2008年9月13日土曜日

奈良少年刑務所創設100周年記念 「奈良矯正展」









正面から





山下洋輔さんのピアノコンサート
体育館にて







奈良更生保護女性会のバザー








綺麗どころ 
 

 
 受刑者が製作した家具等の生活用品や美術品の展示販売と、刑務所での生活に関するパネル展示を行う「奈良矯正展」(9月13,14日)が開催されました。今年も、奈良更生保護女性会の皆さんがボランティアで不用品のバザーや、お餅やケーキを販売されるということなので、激励するつもりで行ってきました。

 特に本年は創設100周年を記念して、ジャズピアニストの山下洋輔さんがソロコンサートを開かれました。山下さんの祖父で建築家の故・啓次郎さんが、明治41年に建てられた同刑務所の設計を担当されたことに因んで、刑務所側から依頼され、今回のコンサートが実現したそうです。所用の為、途中で退席しなければならなかった私は、とても残念でしたが、最後まで聞くことのできた人達は、とても幸せだったろうなと思います。

 奈良更生保護女性会会長の田中さんに、お会いすることができました。田中さんには、ご縁があって、いつも私を始め、妻や事務所のスタッフ(ゆうこりん、みかりん)までがお世話になっています。今日も大変お忙しい中、ウロウロする私の面倒を見て頂いて、大変感謝しています。きっと田中さんから私たちと同じように、お世話になっている人達が沢山いるんだろうなと、拝察するところです。

 最後になりましたが、奈良更生保護女性会の皆さま、本当にご苦労さまでございます。これからも、青少年のために、ご尽力賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
 

2008年8月13日水曜日

なら燈花会探訪

ムッシュ・ぺぺ  於
左から オーナーシェフの西川靖子さん、私、ゆうこりん、みかりん、みつよさん(妻)
中谷堂 の大将と


 2008年なら燈花会も早、10回目を迎えるそうで、誠におめでとうございます。
よくぞここまで育てられたものだと、関係者の皆さんのご努力に、心から敬意を表します。
(ありきたりの言葉ですが、これ以外の言葉が私には見つかりません。)
このなら燈花会が、今後益々洗練され、世界一の公園で国際的に評価される夏の風物詩となり、それこそ千年先まで続きますよう、祈念します。
 
 
 さて、私は毎年、このイベントを個人的にも大いに楽しんでいます。
今年も家内と浴衣で行こうと決めておりました。最近は、若い人達の間で流行してきたんでしょうか? 随分多くの浴衣姿が見受けられようになりました。やっぱり、灯火会には、バッチリ似合いますよ。それに蒸し暑い日本の夏の夜には、結構涼しくも感じます。私なんか、汗かきですから勿論汗はかきますけれど、袖口や裾に抜ける風ほど心地よいものはないですよ。灯火会には、絶対お勧めです。(但し、足元には気を付けて! 長距離を歩くときは、下駄ではシンドイ。そんな時は、足袋を履くか、シューズにしましょう。)
 

 今回は、我が事務所スタッフのゆうこりんとみかりんが、企画してくれました。私と妻のみつよさんを含む3人の女性との一行となりましたが、やはり女性が3人よれば何とかで、ズーっと喋りっぱなし。話題は、アッチコッチに飛びっぱなし。静かだと思ったら、飲みっぱなしに食べっぱなし。と大変楽しゅうございました。
 その楽しいひと時はムッシュ・ぺぺで過ごさせていただきました。古都奈良の公園の中にありながら、周りにとても良くマッチングした仏蘭西料理屋さんで、センスの良さが光っています。今回は、飲み物と様々な小皿の料理をビュッフェ方式でいただきました。どの小皿にも、丁寧に手が入れられた凝ったお料理がのっていて、とても美味しかったです。
 実は、ゆうこりんと西川オーナーシェフが知り合いの仲だったそうで、勿論私にもご紹介いただいたのですが、西川さんは、品があり、知性のにじみ出た方で、素晴らしい人だと拝察いたしました。早速、家に帰ってインターネットでムッシュ・ぺぺを検索しましたが、なるほどなと頷いた次第です。なんと、西川さんは、料理家であり、立派なピアニストでもあり、大変才能豊かな人でありました。今後も、その持てる才能を大いに発揮していただいて、奈良の発展のためにも、ご隆盛なさいますことを、ご期待申し上げます。
 

 夕食後、皆で、あちこち散策し、いつもながらに、風景を楽しみ、おしゃべりを楽しみ、三条通りへと帰ってくると、やっぱり人だかりがありました。中谷堂です。いまや、中谷堂のオーナー、餅づき名人の中谷さんは、全国区で有名になられました。すっかり嬉しくなって、二人のツーショットをお願いしてしまいました。9時45分を過ぎたあたりから、多くの店屋が店仕舞いを始めても(私は、燈火会が終わったそれからが、むしろお店は繁盛するんじゃないのかなと思っていますが)中谷堂では、客の流れが絶えることなく、オーナーはじめスタッフ一同が最後まで一生懸命ガンバっておられたのが印象的でした。
 

2008年8月10日日曜日

フェノロサの講演 「奈良の諸君に告ぐ」

今日は、母の命日(4年目)にあたります。一昨日、淨教寺の院主さん(島田和麿さん)にお越しいただき、自宅で祥月法要をつとめました。法要後、いつものように院主さんから有難い法話を数々いただいた中で、奈良県民にとって大変興味深いお話を一点紹介させていただきます。
それは、日本の恩人、日本人よりも日本美術を愛した男といわれる、アーネスト・F・フェノロサ岡倉天心を通訳として、淨教寺本堂で講演をしたという事実です。 それは、今から120年前の明治21年(1888年)6月5日の出来事でした。
           
フェノロサ氏は、1878年夏に来日し、9月から東京大学で哲学・経済学を教えました。来日後すぐに、仏像や浮世絵など様々な日本美術の美しさに心を奪われ、古美術品の収集や研究を始めると同時に、鑑定法を習得し、全国の古寺を旅しました。やがて彼はショックを受けます。日本人が日本美術を大切にしていないことに。明治維新後の日本は盲目的に西洋文明を崇拝し、日本人が考える“芸術”は海外の絵画や彫刻であり、日本古来の浮世絵や屏風は二束三文の扱いを受けていました。特に最悪の状況だったのが仏像・仏画。天皇や神道に“権威”を与える為に、仏教に関するものは政府の圧力によってタダ同然で破棄されていました。また全国の大寺院は寺領を没収されて一気に経済的危機に陥り、生活の為に寺宝を叩き売るほど追い詰められていました。(廃仏毀釈 はいぶつきしゃく)

今では信じ難いですが、『阿修羅像』で有名な奈良興福寺の場合、寺領の没収と同時に120名の僧が神官に転職させられ、五重塔が当時2円(現価25,000円位)で売りに出されました。五重塔は焼かれる直前に周辺住民が火事を恐れて阻止したといわれています。また、別の寺では政府役人の前で僧侶が菩薩像を頭から斧で叩き割って薪(たきぎ)にしたという話もあるほど、仏教界は狂気染みた暴力に晒されました。

フェノロサは寺院や仏像が破壊されていることに強い衝撃を受け、日本美術の保護に立ち上がりました。自らの文化を低く評価する日本人に対し、如何に日本の芸術・仏教が素晴らしいかを事あるごとに強烈に訴えました。1880年(27歳)、フェノロサは文部省に掛け合って美術取調委員となり、学生の岡倉天心を助手として京都・奈良で古美術の調査を開始しました。

こうした活動を通してさらに日本美術の魅力の虜になった彼は、1881年(28歳)、滅亡寸前の日本画の復興を決意し、日本画家たちに覚醒を求める講演を行ないます。「日本画の簡潔さは“美”そのもの。手先の技巧に走った西洋画の混沌に勝ります」「日本にしかない芸術があるのです!」。西洋文明へのコンプレックスに支配されていた日本人はビックリ。新政府は日本が芸術の世界では一等国と勇気づけられ、フェノロサの演説を印刷して全国に配布しました。1888年(35歳)、岡倉天心は欧州の視察体験から、国立美術学校の必要性を痛感。そして日本初の芸術教育機関、東京美術学校(現・東京芸大)を設立し初代校長となり、フェノロサは副校長に就き、美術史を講義しました。(日本人よりも日本美術を愛した男・フェノロサ参考)

その年、明治21年(1888)六月五日、税所篤知事から奈良に招かれて、淨教寺の本堂で講演をしました。

大津昌昭著の森川杜園の生涯』から  (フェノロサの講演の要旨を極簡単に抜粋)

 近来となって、古物が探求され、奈良というところも知られるようになりましたが、もしもあの正倉院の御物がなかったならば、日本の古代文化がいかなるものであったか、ほとんど知られないままだったのではないでしょうか。それら日本の美術は、ヨーロッパのものとすこしも劣るものではありません。つまりアジアの仏教美術は、この奈良において、完全なるものに仕上がったのだと、わたくしは信じて疑わないのであります。  奈良は、宗教や美術のみならず、ほかにも多くのことで大陸と関係をもってきました。しかし、多くの国は滅亡し、あるいは戦乱を経て、もはや昔の面目を残していないのであります。当時の文物は、日本に存在するのみであります。奈良は、じつにじつに中央アジアの博物館と称してよいのであります。ですから、願わくば、ヨーロッパ人の真似ばかりせずに、精神を高潔にし、日本人たることを嫌うような風潮が愚弄であることを世に知らせ、日本人として誇れる高い文化の創造を切望してやまないのであります

 最後にわたくしが奈良のみなさまに望みますところは、ここでみなさまが奮発し、率先して、日本美術復古の唱導者となってほしいことであります。この奈良の古物は、ひとり奈良という一地方の宝であるのみならず、じつに日本の宝でもあります。いや、世界においても、もはや得ることのできない貴重な宝なのであります。ゆえにわたくしは、この古物の保護保存の大任は、すなわち奈良のみなさんが尽くすべき義務であり、その義務はみなさまの大いなる栄誉でもあると思うのであります。この古物の保護保存を考えずして、いたずらに目の前の小利に惑わされてしまっていては、まことにまことに惜しいことであり、それではこの奈良の価値をまったく理解していないのと同じになってしまうのではないかと、わたくしはそう考えるのであります。

    詳しくは2008年6月今月の法話を是非、お読みください。

2008年8月3日日曜日

紀寺コンコルド30周年祝賀会





昨日、奈良市少年軟式野球連盟古都会メンバーの紀寺コンコルド
30周年の節目を迎えられました。
山田代表のご挨拶、私の祝辞、名和氏の乾杯の音頭と進み、
奥谷監督からのご挨拶、選手の自己紹介と将来の夢、ビンゴゲーム等、とても楽しかったです。
私が特に感激させて頂いた事は、紀寺コンコルド第一期生のお子さんが、父と同じように同じチームに入って卒業された、ということです。
親から子に引き継がれて行く様を目の当たりにして、家族とは、或いは歴史とは、こういうことなんだな~。今は、まだまだ幼い選手諸君も、いつかは自分達の子供に、野球を通じて何かを伝えていくんだろうな~なんて、感慨に更けておりました。
初代はじめ歴代の監督、コーチ、保護者の皆さんのご尽力に対し、心からの敬意を表します。
奥谷監督さんには、後20年は、頑張っていただけるそうで、何卒、宜しくお願い申し上げます。
今後、皆さんが、ご健勝で、益々発展されますことを心から念じております。

第26回 七条夏祭り大会





七条地区恒例の夏祭りに、今年も参加させていただきました。
今年で26回目になるそうですが、私は6回目の参加となります。
地域の夏祭りらしく、フレンドリーで、いつものように、いつもの人が、いつもの笑顔で、暖かく迎えていただき、大変うれしく思いました。
あつ~い夏の夜のひと時に、安らぎと楽しさを与えていただくこの地の夏祭りは、私の大好きな夏祭りのひとつでもあります。
今年の夏も、元気で乗りきれそうです。


2008年7月29日火曜日

古都会 懇親会

一昨日、平成29年度古都杯終了後、それぞれのチームの監督・コーチ・審判・スタッフの皆さんが集合された懇親会に参加をさせていただきました。

今年の「古都杯」優勝チームは、レギュラーの部 大宮ホワイトベアーズ、ジュニアの部 佐保スポーツ少年団でした。選手の皆さん、関係者の皆さん、誠におめでとうございます。
いやはや、それにしても暑か~った。皆さん、本当にお疲れさまでした。
一段と日に焼けた皆さんが、和気あいあいと懇親会を進められる中、私も大勢の方々とビールを注いだり注がれたりしながら、様々なお話を伺う事ができました。
ほとんど毎週土・日は練習で休みは無いとか、最近不況で土曜日は会社を休みにくくなってきたとか、随分、皆さんご苦労されているようです。その他、教育の現場における指導者(先生)のあり方や、本当に必要とされる教師像、或いは、最近の青少年に欠けているもの、青少年に望むこと、地域社会との関わり等、大変参考になるお話をいただきました。やはり、学校とは違う、されど教育現場の生の声を聞いた思いがいたしました。ありがとうございました。

とにかく、監督・コーチをはじめ関係者の皆さんの子供に対する情熱には、頭が下がります。
団体生活や規律といったものが段々希薄に感じられる昨今、まさしく、学校や家庭では足りない教育の部分をサポートして頂いているんだな、と認識を新たにし、感謝の思いで一杯です。
今後も子供たちの健全育成のために、益々ご尽力賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

2008年7月26日土曜日

平成20年度『古都杯』開会式






 本日『古都杯』の開会式が郡山九条グランドで行われました。毎年この時期に開催されます『古都杯』は、旧市内のチームを中心とした、紀寺・飛鳥・佐保・大宮・京終・大安寺・附小・鼓阪の8チームで競われる大会です。そして、この大会を運営しているのが、古都会です。子供達が、たくさんの友達をつくり、楽しい思い出ができるよう、又、監督、コーチ、審判員、保護者の皆さんの親睦を深めることが、この会の目的です。
 
 
 実は私、古都会の名誉会長をお引き受けしているので、今日の開会式でもご挨拶をさせていただきました。
・とても暑い二日間の大会になるので、熱中症に充分気をつけてほしい事。
・選手を支える多くの人達(監督、コーチ、家族等)に感謝の気持ちを忘れないでほしい事。
・支えていただく人達のご恩に報いるのは、最後まで諦めずに全力を尽くすことであるという事。
・大きな夢(甲子園出場、日本のプロ野球選手、大リーガー、オリンピック日本代表選手)を持ってほしい事。
・この古都杯が、皆の素晴らしい思い出になってほしい。
というような内容のお話をさせていただきました。
古都会会長で京終スポーツ少年団代表の松本和雄さんが力強く 開会宣言。
前年度レギュラーチーム優勝の大安寺アパッチライオンズ、ジュニア優勝チームの大宮ホワイトベアーズJr. から優勝カップの返還。
表彰と大会要領の説明を鼓阪シルバーの恒川監督から。
選手宣誓をレギュラーの部は紀寺コンコルドの山口尭己選手、ジュニアの部は京終スポーツ少年団Jr.の山下美樹選手。
そして選手退場となり開会式は終了しました。
 
 
 午前10時より始められ11時までかかりましたが、いずれにしても、暑かった。どうして、こんなに暑いんでしょう。県としても、熱中症対策を真剣に考えなアカンのとちゃうかなと思い始めています。これから試合をする選手や監督、コーチ、審判、保護者の皆さんは大変だろうなと思いながら、開会式が終わったところで、所用の為、グランドを後にしました。
私の仕事の関係で、今日も明日も、試合を観戦できないのは、非常に残念です。
この大会が大成功で終えられますことを心から祈っています。
試合結果を後日お知らせします。

2008年7月24日木曜日

地蔵祭り





昨日、猛暑の中、奈良市内のいたる所で、各自治会や子ども会が地蔵祭りを開催されました。

私も、自宅のある法連東町とお隣の法連南町が共同の地蔵祭りと、私の後援会事務所が所属している南新町自治会の地蔵祭りに参加させていただきました。

2008年7月21日月曜日

奈良県山の日・川の日、 大安寺西地区・佐保川清掃








 先般の6月定例県議会において、「奈良県山の日・川の日条例」が可決されました。
海に面していない奈良県では、山と川が身近な自然であり、歴史と文化の源です。その山と川の重要性や魅力について理解を深め、奈良の美しい山と川を次世代に残すことを目指して、国民の祝日「海の日」である7月の第3月曜日を「奈良県山の日・川の日」 としたのです。
 今日がその第1回目の日であり、大安寺西地区の皆さんのご協力により、恒例の佐保川清掃をこの日に合わせて頂いた訳です。
7:50  中井 社会福祉協議会会長の司会により
      梅林 連合自治会長の挨拶
      藤原 奈良市長の挨拶
      国土交通省道路局から奈良県土木部長に着任されたばかりの
      川嵜 部長の挨拶
      来賓として、近畿地建河川部河川環境課の 野口 課長 
      衆議院の鍵田氏,  地元市議の高橋、井上氏 の紹介
      奈良県・市の職員の皆さんの紹介  をされました。
      北 健全育成会長から清掃範囲等の説明及び注意事項があり、
8:10  清掃開始
      大安寺西地区の連合自治会、社会福祉協議会、万年青年クラブ、
      等各団体から大安寺西小学校、幼稚園の先生方と保護者会、
      そして生協の皆さんやシルバー人材センター、
      地元の少年野球チームまで、その他多勢の人達に
      ご参加をいただきました。
      今日も大変暑い一日となりましたが、皆さん汗をいっぱい
      流しながら、よく頑張っていただきました。
      本当に、お疲れ様でした。
10:00 清掃終了
 
 この事業も今年で21回目だそうです。私が参加をさせていただいて5年経ちますが、年々歳々、佐保川は、着実に美しくなってきたことが実感できます。
これはひとえに、大安寺西地区をはじめとする、県民の皆さんの努力の賜物です。
 7月の第3月曜日は、これから「奈良県山の日・川の日」です。
皆さんと共に、この日を大切にして行きましょうね。
      
      

2008年7月20日日曜日

アユつかみ大会 in 柳生





 川を美しくする会(会長 木的祥史)主催で、毎年恒例の「アユつかみ大会」が今日の13:30より開催されました。場所は、柳生中学校前の打滝川で、一昨年、奈良土木事務所により、地元の要望に応えて、川に降りて水に直接親しめるように改良された所です。
 晴天で今期最高の気温を記録した日となりましたが、例年通り、たくさんの子供達と、親御さん、おじいちゃん、おばあちゃんが参加されました。私も県議になってからズーッとご招待いただき、毎年この時期に地域の方々と交流が持てます事を大変喜んでおります。
 
 着くなり鮎の塩焼きを頂きました。とても美味しかったです。この炎天下で鮎を焼いていただく方の忍耐に頭が下がりました。(まさか、お体でも壊されていないでしょうか、今でもチョッと心配しております。)
 
 木的会長から開会宣言とご挨拶があり、岡田さんからのご紹介で私もご挨拶を述べさせていただきました。そして、いよいよアユのつかみ取りが始まりました。老若男女がいっせいに川に入り、あっちこっちで笑い声や喜びの声が飛び交っていました。
子供達の楽しげな顔以上に大人達(特におじいちゃん、おばあちゃん)の顔が、楽しそうに見えたのは、私だけでしょうか?
 
 木的会長や岡田さん、鎌谷さん達と雑談する中、大変良いお話しをいただきました。
「誰も子供達を汚い川に入れたくない。子供達自身も汚い川に入りたいとは思わないはずだ。だから、このような事業を続ける限り、皆は川をきれいにしようとするだろう。だから、我々は、このような事業をやり続ける必要があるのではないか。」
 
 阪原の日口さんが、お孫さんの面倒を見ながら、嬉しそうに言われました。「夏は、まず、や。そして、今日のアユつかみ大会があって、これからは、カブトムシや。」 なんと豊かで、素晴らしい夏休みでしょう。
 
 木的会長から、来年もお誘いをいただきました。
「是非、来年は、お客さんを連れて来ーや。都会の子供は喜びよるでー。」
 来年は、何人かを引き連れ、オジャマさせていただきますので、どうぞ宜しくお願いします。
楽しい一時を本当に有難うございました。